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「掛軸 田崎草雲」
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掛軸 田崎草雲

田崎草雲

幕末の画家、田崎早雲。司馬遼太郎の小説、「喧嘩早雲」のモデルともなった南画画家で、早熟の作家というよりは年をとるにつれ認められた作家の1人です。弟子に小室翠雲がおり、時代の代表者として後輩画家を育てた経歴の持ち主です。江戸時代に足軽2人扶持の子として生まれ、20歳で脱藩、放浪生活に入ります。このころから、彼の一本気な性格が現れていると言って良いでしょう。周囲の評価が高まったのは30代も半ばを過ぎてからです。1868年、50代を過ぎたとき、時代は明治に変わり、この年、実子の格太郎が妻と自殺するという不幸にも見舞われています。代表作は何といっても「蓬菜山図」「富嶽図」でしょう。その味わいは、見てみなければなんとも表現しようがありません。彼のこころまでが届きそうなのです。彼の各作品は国内だけでなく国外でも高い評価を受けています。70代半ばには、帝室技芸員という芸術家にとってもっとも名誉とされる役目にも選ばれています。また、「絹本着色 蓬莱仙宮図」に描かれた海と蓬莱山。その奥深さ。「絹本墨画 富嶽図」の望遠鏡さえ使ったといわれる富士山の見事な風格。「絹本着色 花鳥図 3幅対」からは、喧嘩っ早い彼が小さなものをも愛していた様子が伺われます。早雲は、南画画家としての生涯で、ある意味で彼の絵を極めたといって良いでしょう。面白い逸話が残っています。彼は幼いころから武術にも長け、剣道や柔道が巧みだった、強かったというのです。その伝説は今でも残っており、ボクシングを使うアメリカの水兵と喧嘩になったときに、早雲は相手を難なくやっつけてしまったと言います。これが黒澤明の映画にもなった「姿三四郎」のモデルになったというのですが、諸説あって、本当のところは分かりません。しかしながら、この話。何だか早雲の人間性を象徴しているかのようで少しだけ笑ってしまいます。いずれにせよ、田崎早雲は、彼の求める南画のために必死に生きた人物であり、その背景には、彼の負けん気の強い性格があったことは事実でしょう。

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